中学3年生くらいから高校生にかけて生徒たちを悩ます教科のおそらく第一位は、
古典じゃなかろうか、と思います。
もちろん、化学や物理なんかも難しいんだけど、何となく現代においてはいろいろな場面で使うはずだし必要な気がする。
それに比べて、古典って何の意味があるの?
昔の言葉で古臭いし、今はもう使わないものだし…。
そんな声が聞こえてくるようです(笑)。
古典を教えている身としては寂しい話ではあるのですが、まあ言いたいことはもっともかなと思います。
教科としての古典に関しては賛否認めるものの、一方でやはり文学としては古典文学は素晴らしいものだと思いますし、出来れば読んで欲しいと思います。
考えてみてください。
長く読み継がれいている文章というのは、つまり、
時代や人の在り方が変わっても変わらない「普遍性」が含まれているということです。

『紫式部日記』の1008年11月1日の条に源氏物語に関すると思われる記述が初出することを考えると、源氏物語の誕生から1000年近く経過することとなりますが、その間にも多くの人に読み継がれてきた訳です。そして、おそらくその読んできた人たちに、「あー、この気持ちわかるわー」みたいな感じで等しく感動を与えてきたことでしょう。それは、つまり1000年という長い期間にも耐えうる恋愛観の普遍性が含まれていたからに他なりません。
700年ほど前の『徒然草』の一節(150段)もご紹介しておきます。
能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出だたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。【現代訳】
これから芸事を身に着けようとする人はとにかく「ヘタなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタな頃から、上手い人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。悩んだら、答えは「古典」の中にある!そこまで言い切るのは難しいかもしれませんが、おそらく大きく間違いではないのではないでしょうか。
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